3回戦 vs NMR 8-5

俺がSINGAPOREでソフトボールをやり始めた時に
王者として君臨していたチーム。その当時のあぶさんは
弱小で大会のときにはお弁当すら頼んでいなかった。

その99年当時もNMRの主力としてバリバリだった豊丸さんと
松下電器元4番打者の内田さんを要するチームだ。
昔から豊丸さんにも内田さんにも色々とお世話になった。
3,4年前に内田さんと俳優の里見幸太郎さんとGOLFを3日続けてやったのはいい思い出だ。

そしてNMRと言えばもう二人。運動部の赤間理事と宮里さん。
この二人にはお礼を言っても言い過ぎではないくらいに俺は色々な機会を
与えて頂き自分自身成長したと思う。NMRには昔は強烈なライバル心があった。
弱小のあぶがいつかはNMRを越えてやるとの意思で初めは頑張った。

そして2002年12月にNMRの2チームを撃破し初優勝したファーストピッチ。
自身も13打数11安打9打点と活躍してやっと勝ったと感涙を流した思い出がある。
その後も永遠の我がままガキ大将田原伸吾、超ドライなマイクそして今では最高の仲間、吉岡、森岡。
俺の中で1番の投手、東田、俺の永久のしもべ、川村、平尾。
天然ボケで今でもプロを 目指している42歳のキム先輩。
熱すぎる尾倉、よく分からん、あつし、慕ってくれる森田、物まねが全く似ていないのむさん。


確か2004年の決勝戦。加藤が2塁にスライディングした時に
当時SINGAPORE NO1の美人ソフトボーラー(先日結婚。おめでた)蔵屋千穂に足が当たった。
ちなみに蔵屋は 当時、加藤の恋人。そこに猛然と走ってくる田原伸吾。思い切り加藤を蹴飛ばす。
全員グランドに入り乱れ、怒号が飛び交い
没収試合になるのかと思われたその瞬間、加藤が大声で「しんぱーん!」と叫ぶ。
そして「この人が僕を蹴りましたー」
今でも加藤の心は小学生のままだ。
ちなみにあぶ優勝。

試合前は少し正直緩んでいた。

1,2回戦の大勝、しかもMEMBERを落としての勝利で普通に勝てると臨んだ試合。
NMRの投手はスローピッチで投げ慣れている豊丸さんが出てきた!

1番加藤が出た後、手塚、相原、そして俺と凡退。1回表に点が取れず0点スタート。
1回裏、1番豊丸さんの強烈なヒットから始まり内田さんの金網直撃2塁打等で
一気に4点先制される。

2回表も高めのボールもストライクを取る審判に豊丸さんの変幻自在な投球もあり
また無得点。
2回裏はあぶも好守で無得点に抑える。

3回表 豊丸さん変幻自在。打てない…
3回裏 NMRも無得点

4回表 1死1,2塁から亮太また凡退。しかし2死2,3塁になる。打者俺。
高めのボール球をまた無理やり打って打球はミドルとセンターとショートの3角形の中心へ。
ショートが追いつきグラブに収まったように見えたが
俺の必殺スピンショットでポロリとボールは地面へ。
やっと点を取った。2-4.


次のゆーいちがまた打って3-4.しかし後続凡退で3-4のまま。
4回裏 これまた好守で無得点。

いよいよ最終回。

円陣。皆を集めて言った事は、胴上げの為とか絶対に勝つんだはもういい。
折角何十万もかけて日本からこの大会の為に来てるんだから最後のイニングは楽しもう。
悔いの無いバッティング、走塁をしよう。

5回表 下位打線から始まって2死2塁。万事休す。
しかしそこから加藤、代打村田、亮太の連打で同点、逆転に成功し5-4.
そして俺が今度は綺麗に左中間2塁打で7-4.
ゆーいち、みつも続いて8-4で最終回へ。
5回裏 何とかNMRの反撃を1点に食い止め8-5で辛勝。

試合後、豊丸さんの一言。
「賢ちゃん、結構楽しませたやろ?」

この人やばい。器が違う。
俺はこの人がこのSINGAPOREでゼロからスタートして今は成功者として大社長に
のし上がった事を知っている。

実は4回の時点でもう残り時間は少なかった。
しかし豊丸さんは投球練習を1球もせずに時間稼ぎをせずに「もうええで」と
うちの打者に促していた。
4回裏もNMRはゆっくり攻めれば時間切れで勝っていた。
だけど皆、普通にバッターボックスに入った。
ボールを待つことも無く普通に打ってきてくれた。


あぶさんはこんなチームになりたい。


ベスト8進出 続く

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